大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成4年(け)1号 決定

主文

本件異議の申立を棄却する。

理由

一  本件異議申立の趣意は、弁護人岡崎敬及び同大西啓介共同作成名義の異議申立書及び異議申立書補充書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

二  所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、(1)原決定は、被告人が、平成三年四月二三日に本件控訴の取下書を東京拘置所長に提出した(以下「本件控訴取下」という。)当時、その訴訟能力に欠けるところはなく、右控訴取下の行為が訴訟にもたらす効果等をも十分認識した上で、敢えて控訴の取下に及んだものであるから、これを無効とすべき理由はないとしている。しかしながら、本件控訴取下が、被告人においてその意味を十分に理解してなされたものとは解し難く、また、原決定は、訴訟能力の概念を誤って捕らえているものであって、本件控訴取下当時、被告人が訴訟能力を欠いていたことは明らかである。(2)仮にそうでないとしても、原決定は、有効な控訴取下が行われた以上、取下を撤回することによって、一旦終了した訴訟状態を復活させることはできないとしているが、本件については、被告人の控訴取下書提出時点の訴訟能力について疑義が生じ、この点を解明する目的で事実の取調べが行われていたのであるから、控訴取下書提出時点において、確定的な訴訟終了という効果は、実質的には生じていなかったものと認められる。したがって、この間において、被告人による控訴取下の撤回を許しても、何ら手続の確実性と法的安定性を害することにはならないから、被告人のした本件控訴取下の撤回の意思表示に効力を認めるべきである。したがって、本件控訴は平成三年四月二三日被告人がした控訴取下により終了したものであるとした、原決定の判断は失当であるから、これを取り消し、本件控訴は係属しているとする旨の裁判を求める、というのである。

三  そこで、一件記録(原裁判所における事実取調べの結果を含む。)を調査し、当裁判所における事実取調べの結果を合わせて検討すると、本件控訴は、平成三年四月二三日被告人がした控訴取下により終了したものであるとした原決定の判断は正当であり、その理由として説示しているところも、これを維持することができるものと考えられる。以下その理由を説明する。

四  本件控訴取下に至る経緯及びその後の経過は次のようなものである。

1  被告人は、昭和五七年六月二四日、本件畑一家殺害事件の容疑で逮捕されて、そのまま勾留され、同年七月一六日、右の殺人事件につき横浜地方裁判所に起訴されて、引き続き勾留され、その後本件の平山及び岸殺害事件並びに窃盗事件についても起訴され、勾留のまま審理が続けられた。被告人は、当初、本件各犯行について全面的に黙秘権を行使し、その後、捜査官から拷問を受けたなどと言ったり、証人の尋問中に大声で「冗談じゃねえや、俺はやっていねえよ」などと発言して発言禁止処分を受けたり、裁判長の制止を無視して退廷を命じられたり、被告人に対する拘置所職員の処遇を非難する発言をしたり、弁護人を替えて欲しい旨要請するなどした。次いで、被告人は、殺人を行ったのは茅ケ崎の岡野という人間であり、また、窃盗も行っていないなどと主張したが、その後全面的に犯行を認めるに至り、本件各殺人及び窃盗被告事件について、昭和六三年三月一〇日、横浜地方裁判所において、死刑判決の宣告を受けた。被告人及び第一審弁護人は、右判決に対し即日控訴の申立をした。

2  右控訴申立により、右被告事件は原裁判所に係属するに至ったが、被告人は、控訴審第一回公判期日前の平成元年五月六日の夜間、当時収容されていた東京拘置所の職員に対し、「僕はもう助からないから控訴をやめます」と言い出し、当直職員(副看守長)から弁護人とよく相談してから判断するように説諭され、「分かりました」と答えた。しかし、被告人は、翌日にも、職員に対し、「もうすぐ(控訴してから)一年になるのに、まだ裁判の日が決まらない。最近はイライラして仕方ないので、いっそ取り下げてしまいたい」などと言ったりした。そして、被告人は、同年七月一〇日の第一回公判期日において、控訴をやめることができるかどうかを発問し、また、同年九月一一日の第二回公判期日においても、もう助からないから控訴をやめたいという趣旨の発言をし、いずれも、裁判長から重要なことなので弁護人とよく相談するようにと諭された。しかし、被告人は、同年一二月二八日、拘置所職員に対し、「控訴を取り下げて死刑を確定させろ。上司に会いたい。早くしてくれ」と言い張るなどした。その後も、被告人は、拘置所職員や接見のため訪れた弁護人に対しても、しばしば「控訴を取り下げたい」旨の発言をし、弁護人が、その都度被告人に理由を聞くなどしたり、拘置所職員に被告人のこの種の要求を取り上げることのないように依頼するなどした。被告人は、平成二年三月一三日、拘置所職員に対し、「電波で音が入って来てうるさい。生き地獄つらいです。早く確定して死刑になって死にたいです」などと言い、次いで、平成三年四月一〇日の第一一回公判期日において、原裁判所が、弁護人の請求した被告人の犯行時及び現在の精神状態に関する精神鑑定を採用した際、被告人は、精神鑑定を拒否する態度を示し、要求が受け入れられないなら控訴を取り下げるという趣旨の発言をするに至った。さらに、被告人は、同月一八日、東京拘置所において、控訴取下に必要な手続や書類の交付を拘置所職員に強く求め、同月二三日、同拘置所から連絡を受けた岡崎弁護人が拘置所に出向いて、被告人に対し控訴の意味を説明して翻意を促したが、被告人は、「控訴を早く止めたい」と繰り返し、同弁護人の説得に応ぜず、拘置所職員から控訴取下書用紙の交付を受け、所要事項を記載して同日付けの控訴取下書を作成した上、同日、これを東京拘置所長に提出した。

3  弁護人らは、原裁判所に対し、被告人が正常な精神状態にあるとは考え難いとして、右控訴取下の効力について疑義がある旨上申し、これを受けて、原裁判所は、まず、右控訴取下の真意を質す目的で、同年五月一〇日、被告人を審尋した。被告人は、右審尋において、裁判所及び訴訟関係人らからの質問に対し、本件控訴取下書は被告人自身が書いたものであることを明確に述べ、さらに、控訴を取り下げた動機について、「本当なら無罪になってシャバに出たいんだけれど、世界で一番強い人に苦しめられてて、それで苦しかったんで、その苦しさに負けて、それで控訴をやめる気持になって、それでやめました」、「世界で一番強い人が透明になりながら魔法で生きているのがつまらなくなるようにすると言って、それで魔法をかけられて、それをかけられると物凄く苦しいんですよね」、「世界で一番強い人は一〇年間の生き地獄にするって言ってたんだけれども、これ(控訴)やめれば、もしかしたらもっと早く死刑になって早く死ねて、それでもっと早く楽になれるかも知れないと思ったから、一日も早くまあこれ(本件控訴取下書)を書いたんだけれど」などと述べた。次いで、原裁判所は、同月二〇日(鑑定人尋問は同年六月三日)、慶応義塾大学医学部名誉教授医師保崎秀夫に対し、平成三年四月二三日の本件控訴取下書の作成提出時点における被告人の精神状態について鑑定を命じた。同鑑定人から、同年一〇月一日精神鑑定書が提出され、同年一一月一八日同鑑定人に対する証人尋問が行われた(右精神鑑定書及び証人尋問の結果を合わせて、以下「保崎鑑定」という。)。保崎鑑定は、被告人の現在(鑑定時)の精神状態について、被告人は、拘禁反応の状態にあるが、本件控訴取下書を作成、提出した時点において、控訴取下等の行為が訴訟上持つ意味を理解して行為する被告人の能力は、多少の問題はあるにしても、失われている状態にはないと判定し、なお、多少の問題というのは、被告人の知的な能力は下がっていないのに子供っぽい応答状態、犯行が被告人の意志によらないとしている広い意味での妄想的な表現、事件の内容を聞かれると、もう答えたくないなどと言って詳細を述べようとせず、急にきょろきょろしたり、あらぬ方を眺めるといった特有な精神状態等にみられる拘禁反応を指しているが、それらはいずれも被告人にとって、訴訟行為等の意味を理解して行為する上で障害となるような性質、内容のものではないとしている。

4  一方、被告人は、同年一〇月一九日付けの母親に宛た手紙の中で、控訴をやめないとし、世界で一番強い人が控訴をやめない方がはやく裁判が終わると言ったなどと記し、同年一一月一八日に行われた被告人に対する審尋において、母親宛の右手紙を書いたのは自分であり、今でも控訴をやめないという気持に変わりはない、控訴をやめないということは、右の手紙を書いた後ずっと同じである、世界で一番強い人が控訴をやめるなと言っているなどと述べて、控訴の取下を撤回する意思を表明した。

5  原裁判所は、以上の事実取調べ等を踏まえ、平成四年一月三一日、本件控訴は、平成三年四月二三日被告人がした控訴取下により終了したものであるとの決定をなした。弁護人らは、平成四年二月三日、右決定を取り消し、本件控訴は係属しているとする旨の裁判を求める本件異議申立をした。

6  右異議申立により、本件異議事件が当裁判所に係属し、弁護人らは、同年三月二七日、当裁判所に対し、被告人には精神分裂病の疑いがあり、本件控訴取下は、幻覚、妄想に影響された非合理的、非現実的な動機によってなされたものであり、被告人には精神分裂病に罹患している疑いがあるが、仮に被告人にみられる症状が、保崎鑑定のいうとおり、拘禁反応であったとしても、被告人の訴訟能力に重大な障害が存在したと考えざるを得ず、保崎鑑定には疑義があり、被告人の精神鑑定を再度行う必要があるとする趣旨の、財団法人東京都精神医学総合研究所副参事医師中谷陽二作成の「意見書」と題する書面(以下「中谷意見書」という。)を提出し、被告人の訴訟能力について、再度の精神鑑定の実施を要請した。当裁判所は、同年六月九日(鑑定人尋問は同月一五日)、聖マリアンナ医学研究所顧問医師逸見武光に対し、被告人の精神状態について保崎鑑定の場合と同趣旨の鑑定を命じ、同鑑定人は、平成五年二月一日精神鑑定書を提出し、同年四月二二日同鑑定人に対する証人尋問が行われた(右精神鑑定書及び証人尋問の結果を合わせて、以下「逸見鑑定」という。)。逸見鑑定は、被告人がいわゆる境界例人格障害者で、被告人の現在(鑑定時)の精神状態は、幻覚、妄想状態にあり、この幻覚、妄想状態は重度の心因(ストレス)に起因する特定不能の精神障害のうちの分裂病型障害と考えられ、控訴取下時の精神状態も現在(鑑定時)と同様であると思われるとし、拘禁された後の被告人の幻覚、妄想状態は、精神分裂病のそれとほとんど変わらない状態を呈しており、被告人が死の願望を抱くこと自体が精神分裂病に起因するものであって、被告人は、控訴の取下について、真にその意味するところを理解しているとはいい難いから、本件控訴取下時において、その訴訟能力はなかったといわざるを得ないとしている。これに対し、検察官から同年六月二三日、さらに被告人の精神状態について再鑑定を求める申出がなされた。当裁判所は、同年七月一六日(鑑定人尋問は同年八月一七日)、上智大学文学部心理学科教授医師福島章に対し、被告人の精神状態について保崎及び逸見両鑑定の場合と同趣旨の鑑定を命じた。同鑑定人は、平成五年一一月一九日精神状態鑑定書を提出し、平成六年六月三〇日同鑑定人に対する証人尋問が行われた(右精神状態鑑定書及び証人尋問の結果を合わせて、以下「福島鑑定」という。)。福島鑑定は、被告人が、現在においても、これまでも、精神分裂病であったり、境界例であったりしたことはなく、本件控訴取下時においては、拘禁反応の状態にあって、願望充足的な妄想様観念を抱いていたため、控訴取下の意義を理解し、自己を守る能力(いわゆる訴訟能力)が多少は低下していたが、その実質的な能力が著しく低下し又は喪失する精神状態ではなかったとしている。なお、以上の鑑定等のほか、弁護人から原裁判所に対し、平成四年一月二二日、本件控訴取下当時の被告人の訴訟能力、とりわけ主体的、合理的な判断能力の存在には大きな疑問があり、本件控訴取下は無効とすべきであるなどとする、千葉大学法経学部助教授後藤昭作成の「意見書」と題する書面(以下「後藤意見書」という。)が提出されている。

五  被告人は、前記四の3のとおり、控訴を取り下げた動機について、本当なら無罪になって社会に出たいと言いながら、他方において、世界で一番強い人に生きているのがつまらなくなるよう魔法をかけられ一〇年間生き地獄にするとも言われたなどとし、生きているのが凄く苦しいので、控訴をやめれば、早く死刑になって楽になると思ったという趣旨のことを述べたりしているので、まず、本件控訴取下時における被告人の精神状態について検討するに、保崎鑑定及び福島鑑定は、当時の被告人の精神状態を拘禁反応であると診断している。その根拠として、福島鑑定は、理学的検査及び神経学的検査では、被告人に特に異常はなく、また、被告人の脳波は全く正常な所見であり、脳に器質的な異常があるとは考えられず、てんかん性の病気もみられないとした上、一件記録から認められる被告人の家族歴、生活史、心理テストの結果、面接所見等の総合的な見地から、次のとおり判定している。すなわち、特徴的なことは被告人の応答が極めて状況依存的なことであり、当たり障りのない話題には、積極的かつ多弁に応じ、裁判にかかわる話題には警戒的、防衛的になるなど現実的な認識能力が十分保たれていること、また、論理の乱れも、唐突な話題や了解不能な話題の転換もなく、精神分裂病的な連想弛緩や滅裂思考はみられないこと、「世界で一番強い人」についての被告人の説明は、妄想の一種と考えられるが、精神分裂病に起こる真性妄想、原発妄想、一次妄想とは区別される観念であり、願望と空想性から生じた妄想様観念、反応性妄想、二次妄想であると考えられることなどを指摘し、この妄想の内容は、被告人のおかれた状況と被告人の願望から心理的に発生の了解が可能であり、結局、現在(鑑定時)の被告人の精神状態は「拘禁反応」に基づく「妄想様観念」を抱いた状態であり、真の幻覚の存在は疑わしいとしている。この福島鑑定の判定は、十分な資料に基づき、その精神的、心理的状況を明らかにしており、合理性を有するものということができる。

これに対し、中谷意見書は、被告人について精神分裂病の疑いのあることを指摘しているが、以下に検討するとおり、右指摘に与することはできないといわざるを得ない。すなわち、保崎鑑定及び福島鑑定は、被告人が精神分裂病であることを明確に否定し、逸見鑑定も厳密な意味での精神分裂病ではないとしている。福島鑑定は、その理由として、被告人には、精神分裂病に固有の感情の鈍麻、冷却などの感情障害が認められず、対人関係もよく保たれており、また、連想弛緩や支離滅裂といった思考の形式的な障害が全くなく、したがって、精神分裂病の中軸症状ともいうべき、感情障害、思考障害、意欲障害のいずれも欠いており、被告人が精神分裂病でないことは明らかであり、ロールシャッハ・テスト、HTP法等の各種の心理テストの結果からも精神分裂病が否定されるとし、このことは被告人の生活史に関する情報からも裏付けられるとしている。保崎鑑定も、被告人との問診の結果を主たる資料として、福島鑑定と同様な判定をしている。また、逸見鑑定も、被告人は、精神分裂病者に特有の冷やかなところ、あるいは外界に対する関心の乏しさなどは目立たず、逆に、人懐かしげに笑いかけたり、自分の問いたいことを問いかけるときの人懐かしげな態度など、精神分裂病者では示さない態度を示し、その言動には精神分裂病を疑う多くのものがあるが、仔細に観察すると本質的なところで違うという印象を受けたとしている。この点、中谷意見書は、被告人の生活史等を見る限り、被告人は中学卒業のころから精神分裂病を疑わせる徴候が現れたとしており、被告人の生活史に関する情報からも被告人が精神分裂病でないことが裏付けられるとする福島鑑定と見解を異にしている。しかしながら、中谷意見書が指摘する被告人の精神異常を窺わせる奇矯な言動は、その多くを被告人の母〓間弘子の供述によっているが、関係各資料を検討する限り、同女の供述をそのまま信用してよいかはかなり疑問であるといわざるを得ない。また、被告人については、その小、中学校時代の記録等にも精神病であることを窺わせるものはなく、昭和五二年一一月(一七歳時)、昭和五三年七月(同)及び昭和五五年四月(一九歳時)の三回少年鑑別所に入所し、昭和五三年七月から昭和五四年一〇月まで中等少年院に、昭和五五年四月から昭和五六年五月まで特別少年院に収容されていた、いずれの時点においても精神障害は否定されており、精神障害に関する医療上の措置が取られたという形跡もないことが認められる。なお、被告人が中学卒業間もないころ、父親の発案により精神病院で診察を受けたことがあるという右弘子の供述があるが、この供述についても、裏付けがあるわけではなく、その信用性自体に疑問がある上、仮にそのような事実があったとしても、医師から、精神分裂病ではないようだと言われたというのであり、被告人が入通院したという事実も認められないことからすれば、右の事実を精神分裂病であることの根拠とすることはできないものと考えられる。以上の諸点に照らし、被告人については中学卒業のころから精神分裂病を疑わせる特徴が現れており、何よりも精神分裂病が疑われるべきであることを指摘する中谷意見書の見解には、疑問を差し挟まざるを得ない。

次に、逸見鑑定は、被告人の精神状態が、拘禁後に初めて精神病症状が出てきたという意味においては、拘禁反応であることを認め、前記のとおり、被告人の言動には精神分裂病を疑う多くのものがあるが、仔細に観察すると本質的なところで違うとしているものの、拘禁された後の幻覚、妄想状態は、重度の心因(ストレス)に起因する特定不能な精神障害のうちの分裂病型障害と考えられ、精神分裂病のそれとほとんど変わらない状態を呈しているとしている。また、逸見鑑定は、被告人には拘禁以前から精神障害がみられたとし、具体的には、幼児期から児童期境界例の特徴を示していたが、特別少年院を出てから境界例人格障害の様相を現したなどとも述べている。

しかし、この点、福島鑑定は、逸見鑑定が、被告人は幼児期から児童境界例の特徴を示し、特別少年院退院後から境界例人格障害の様相を現したとしていることについて、その診断根拠は全く不明確であるとし、アメリカ精神医学会の「精神障害の分類と診断の手引第三版改定版」(DSM―Ⅲ―R)の診断基準などからしても、逸見鑑定の右診断に疑問があるとし、被告人が境界例あるいは右診断基準にいう境界性人格障害ではない旨鑑別診断している。また、逸見鑑定が、特定不能な精神障害のうちの分裂病型障害というのは、DSM―Ⅲ―Rの分裂病様障害のことであると述べているのに対し、福島鑑定は、被告人の罹病期間が六か月を超えていることから、DSM―Ⅲ―Rの定義する「分裂病型(様)障害」に一致するといえないことは明らかであるなどとし、この点からも、逸見鑑定の診断には合理的な根拠がないとする。逸見鑑定に対する福島鑑定の右反論は、関係各資料に照らし、首肯できるところであり、逸見鑑定における被告人の生活史の認定について、必ずしも正確でないと思われる点がみられることなどを合わせ考えると、被告人の本件控訴取下時の精神障害が、分裂病型障害であるとする逸見鑑定の見解を直ちに採用することは困難である。そうすると、拘禁された後の被告人の幻覚、妄想状態が、精神分裂病のそれとほとんど変わらない状態を呈しているとする逸見鑑定の鑑定意見も、必ずしも十分な根拠をもったものとはいえないといわざるを得ない。

以上のような諸鑑定の状況に、被告人に一種の妄想が現れ出したのが拘禁後であること(これに反する被告人の母〓間弘子の供述の信用性について、疑問のあることは前記のとおりである。)、控訴の取下を巡る被告人の供述や発言内容は、それなりにその場の状況に応じたものであって、必ずしも了解不可能なものではないと考えられることなどを合わせ考慮すると、被告人の本件控訴取下時の精神状態は、逸見鑑定や中谷意見書がいうような精神分裂病ないしこれに近い精神状態にあったものではなく、保崎鑑定及び福島鑑定が判定しているように、拘禁反応であったものと認めるのが相当である。

六  そこで、次に、本件控訴取下の効力について検討する。

1  被告人は、右に検討したとおり、本件控訴取下当時、拘禁反応の状態にあったが、前記四の1ないし4の本件控訴取下に至る経緯及びその後の状況等に照らすと、被告人は、当時本件控訴取下書を書いて提出することについて十分認識があったことはもとより、自分が訴訟のどの段階で取り下げるのかという点、さらには、控訴の取下によりどのような結果をもたらすか、すなわち、死刑が確定し、自分にとって死が免れ難いものになるということについても、認識していたものと認められる。この点、保崎鑑定人は、被告人には裁判を受けている状況についての認識はあり、控訴の取下がもたらす結果についてもよく知っているとの見解を述べている。また、福島鑑定人も、被告人の面接時の発言などからみて、被告人は、自分が一審で死刑の判決を受けて、控訴をしたが、その後、自分自身で控訴の取下書を書いたことについては記憶しており、そのことを明確に認識しているとの見解を述べている。そして、前記四の2及び3の本件控訴取下に関する被告人の発言等や福島鑑定等を合わせ考えると、被告人が、本件控訴取下をするに至ったのは、原決定が説示しているとおり、被告人には、第一審の死刑判決が重くのしかかっており、控訴はしたものの、いわば八方ふさがりの状態で、助かる見込みがなく、そのことで現在味わっている精神的な苦痛から逃れるためには、むしろ早く死刑判決に服したいと考えたことによるものであり、現状からの逃避願望が死刑になって早く楽になりたいという願望にまで発展し、本件控訴取下に及んだという心理的経過を辿ったことが窺われる。このような心理的な形成機序は、被告人のような立場におかれた者にとって心理動態的には、十分あり得ることであると考えられ、被告人が本件控訴を取り下げるに至った真意も右のようなものであったと思われる。

2  もっとも、被告人が、本件控訴取下に及んだことについて、妄想ないし妄想様観念が一定の関わりをもったことは、いずれの鑑定人も指摘するところで、本件控訴取下が、全く正常な精神状態のもとでなされたものでないこともたしかである。

この点につき、所論は、本件控訴取下は、死への願望という、一般人に理解不可能な、およそ正常でない動機に基礎づけられており、妄想(及び幻覚)がその動機付けに重大な影響を及ぼしたことは明らかで、正常な判断に基づくものとはいえず、本件控訴取下当時、被告人の訴訟能力は著しく低下していたものといわざるを得ないと主張し、逸見鑑定も右主張に沿う見解を示している。すなわち、逸見鑑定は、被告人の本件控訴取下が、自分を抹殺したいという意味での死への願望という、一般人には理解不可能な動機に基礎づけられているものであり、精神分裂病のそれと同様の妄想、幻覚状態に支配されて行われたものであって、本件控訴取下について、被告人の訴訟能力を認めることはできないと判定している。

しかし、自分を抹殺したいという願望は、特異なものではあるが、人の心理状態としてあり得ないものではなく、被告人が、本件控訴取下をするに至った動機、すなわち、死刑判決の覆る見込みが少ないという状況を認識しつつ、いつまでも不安定な状態におかれる苦しみから逃れるために死刑判決を確定させるべく控訴を取り下げたということが、動機として特異なものであるということはいえるにしても、これが、一般人をしておよそ理解することができないものであるとはいえない。したがって、本件控訴取下をするに至った被告人の動機が、自分を抹殺したいという特異な願望に基礎づけられているということだけで精神分裂病と同様な妄想、幻覚状態に支配された正常な判断に基づかないものであると一概にはいえないと考えられる。また、本件控訴取下当時被告人にみられた妄想ないし妄想様観念について、保崎鑑定は、これが、被告人にとって、訴訟行為等の意味を理解して行為する上で障害となるような性質、内容のものではなく、被告人の、控訴取下等の行為が訴訟上持つ意味を理解して行為する能力に、多少問題はあるにしても、失われている状態にはないとし、福島鑑定も、被告人の妄想状態は、被告人の人格を支配するようなものではなく、被告人の意志が病的過程に支配されていたとはいえないとし、本件控訴取下当時、被告人の訴訟能力は多少低下していたが、その実質的な能力が著しく低下し又は喪失する精神状態にはなかったとする趣旨の、ほぼ保崎鑑定と同様の判定をしている。この点、前記五のとおり、本件控訴取下当時の被告人の精神状態は、拘禁反応であったと認められることや、右にみたとおり、被告人の抱いた死への願望は必ずしも了解不可能なものではなく、被告人の控訴取下時の精神状態に関する逸見鑑定の見解については、これを直ちに採用することが困難であることなどからすると、本件控訴取下当時、被告人にみられた妄想状態の実態は、福島鑑定がいうように、その影響が部分的、表層的で、被告人の人格を支配するようなものではなかったと考えられ、所論のいうように、被告人の右妄想状態が本件控訴取下についての被告人の訴訟能力に著しい影響を与えたものということはできない。

3  そして、被告人は、前記認定のとおり、本件控訴取下書を書いて提出することについて十分認識があったことはもとより、自分が訴訟のどの段階で取り下げるのかという点、さらには、控訴の取下がもたらす結果、すなわち、死刑が確定し、自分にとって死が免れ難いものになるということについても、認識していたものであり、控訴の取下をしたことについては、妄想ないし妄想様観念の関わりがあったことは認められるものの、妄想ないし妄想様観念に支配されていたものではないことなどに照らすと、被告人は、本件控訴取下につき、その意義を理解し、真意に基づいて本件控訴取下をなしたものであり、自己の権利を守る能力に欠けるところはなかったものというべきである。

なお、後藤意見書は、被告人が、一旦控訴を取り下げるという行為をしながら、その後、控訴取下を撤回する旨意思表示していることからすると、被告人に控訴取下についての理解力があったかどうか疑問があり、また、被告人の本件控訴取下は、その主観的な目的との関係で合理的な選択として了解できず、拘禁反応などにより正常な判断力が阻害された結果と考えなければ説明がつかず、被告人の判断力にも疑いがあるとする。しかしながら、前記のとおり、被告人は、本件控訴を取り下げるまでに、控訴審における審理前から控訴取下の意思を表明し、「もう助からない」などと言い、弁護人らの働きかけ等によって思い止まるということを再三繰り返した上で本件控訴取下書を作成、提出し、その作成、提出に際しては、拘置所から連絡を受けた弁護人が接見して説得するなどしたが、結局、控訴取下書の用紙に所定事項を記入するに至ったものである。また、被告人は、原裁判所の審尋において、早く死刑になって楽になりたいという趣旨の供述などもしている。このような本件控訴取下の経緯に照らすと、被告人なりに考えた上で本件控訴を取り下げたことが窺われる。そして、福島鑑定が、被告人には、無罪になって外に出たいという願望と、死刑であれ何であれ心情的に不安定な未決の状態を確定させたいという気持があり、不安定な状態を確定させたいという気持に支配された時に本件控訴取下書を作成し、その後、自由になりたいという願望が生じたときにそれを撤回したものであって、被告人がそのような行為に出たのは、衝動的に行動してしまう被告人の性格に起因するところが大きいと考えられ、このような衝動的な被告人の性格は、被告人の心理テストの結果からも、生活史的な事実からも窺い知ることができるとしていることを合わせ考えると、被告人に控訴取下に対する理解力や判断力がなかったということはできず、この点に疑問があるとする後藤意見書の右見解は採用することができない。

4  所論は、また、死刑事件という本件の特殊性を考慮すれば、真摯な反省、悔悟に基づく取下であるかどうかによって訴訟能力の有無を判断すべきであり、少なくとも一定の妄想の影響が認められ、しかも、控訴を回避して死刑の執行を望むなどという極めて特殊な動機に基づく、本件控訴取下については、法的に、到底訴訟能力を認めることはできないと主張し、後藤意見書も同様の見解を述べている。しかしながら、本件が第一審裁判所において死刑判決が宣告された事件であるという点などを考慮しても、控訴取下という訴訟行為が有効であるためには、それが被告人の真意に出たものであればよく、真摯な反省、悔悟に基づくものであることまでは必ずしも要求されるものではないというべきである。

5  以上から結局、被告人には、本件控訴取下当時、本件控訴取下の意義を理解し、自己の権利を守る能力、すなわち訴訟能力に欠けるところはなかったものというべきであり、したがって、本件控訴取下は有効であると認められる。

七  さらに、所論の主張する控訴取下の撤回について検討するに、本件控訴取下が有効になされたものであることは前記判断したとおりであって、本件控訴は、本件控訴取下がなされた時点で、終了しており、これを控訴取下の撤回により復活させることができないことは原決定が説示したとおりである。本件においては、本件控訴取下後、原裁判所によって本件控訴取下に関して事実の取調べが行われているが、これは、原裁判所が、本件事案の特殊性に鑑み、慎重を期して、本件控訴取下が被告人の真意に基づくものであるかどうか、被告人において訴訟能力を有していたかどうかなどの点について確認を行ったに過ぎないものであって、これをもって、所論のいうように、控訴取下書提出時点において、確定的な訴訟終了という効果が実質的には生じていなかったなどということはできず、被告人のした本件控訴取下の撤回の意思表示に効力を認めるべきであるとする所論は、採用することができない。

八  以上の次第であり、本件控訴は平成三年四月二三日被告人がした控訴取下により終了したものであるとの原決定の判断に誤りはなく、論旨は、理由がない。

九  よって、刑訴法四二八条三項、四二六条一項により、本件異議の申立を棄却することとし、主文のとおり決定する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例